イケてる遊びとは何かを考えてみた
こんにちは。ささやんです。
いきなりですが、みなさんは日頃どんな遊びをしていますか?
買い物へ行ったり
ライブへ参戦したり
とりあえずダベったり
いや、大人になってからは「仕事と家事に追われて遊べていない!」という人も多いかもしれません。
というか友達と買い物に行くのって遊びなのか?
買い物は買い物であって、遊びではないような気もするけど、大人になってから友達と会うとなると「買い物⇨ダベる」っていうパターンが王道のような気もする・・
買い物は買い物であるし、ダベるはダベるだ。どう考えてもそれらは子供の頃にしていた「遊び」とは違うような気がする。それでいいのか大人たち!!
ということで今日は「遊びとは何か?」を考えて、大人のイケてる遊びを提案してみることにします!!
〜本日の内容〜
- 子供の頃の遊び
- 夢中になり自分を育てるもの
- 大人のイケてる遊びとは何だろうか
子供の頃の遊び
ブランコ!
すべり台!!
砂遊び!!!
「遊ぶ」というワードから連想するものに、こんな遊びが思いつくかもしれない。
はたまた、
鬼ごっこ!
ドッジボール!!
ドロケイ!!!
ドロケイvsケイドロとちう子供界の争いは現在も続いているのだろうか?
こういった遊びも子供の頃に多くの人が経験しているだろう。
これらの子供の頃に経験した遊びは、大人になってからの「買い物」と何が違うのだろうか?
僕が一番感じるのは「夢中になって全力で没頭しているか?」ということ。
前回の記事にも書いたように、没頭するということは「正しさ」という判断基準は用いない。ただ自分自身の感性に基づいて、周りの目も気にせずに取り組むことである。
子供の頃の遊びとは、それこそ目的もなければ正解などもない。「楽しい」か「退屈」かである。
夢中になり自分を育てるもの
大人になれば色々なことに意味を見出そうとする。
「これって何の意味があるの?」「それをやる目的は何か?」
そんなことばかり気にしていないだろうか。
目的や意図を持つことは生きていく上で必要なこと。しかし「遊び」にそれらは必要ないのではないか。そもそも意味というのは事後的にわかるものである。わかるというか解釈次第である。
例えば「勝利」を目的に練習を重ねていても試合で負けることはある。
しかしその練習の意味というのは、事後的に様々な解釈の仕方があるでしょう?
「勝てなかったら意味がない」のか・・そうではない。「勝てなかったけど、あの練習から〇〇を学んだ」ということや「あの時に負けたからこそ△△を知れた」ということはよくある話だと。
つまり事前に目的を持ったり意味を決めつけても、それはその時点でのその人の思考の枠組みに規定されたものであり、事後的には全く関係がないことになるかもしれないわけです。
今振り返ってみれば、子供の頃に夢中になって乗ったブランコやすべり台はその時に目的などなかったかもしれないけど、今振り返れば多くの学びをくれたことだろう。
しかし大人になってからの買い物やダベリに学びは少ない。ただの消費活動であり、発散であり、夢中になって没頭していないから!
そういうわけで、遊びというのは「それに夢中になり、没頭して、事後的に自分自身を育ててくれるもの」であると思うのです。
そこに必要なのは「正しさ」という思考による判断基準ではなく、「楽しさ」「美しさ」「心地よさ」といった感性に基づくものであると。
大人のイケてる遊びとは何だろうか
とはいえ、じゃあ大人になってから鬼ごっこをすればいいのか?と言うと、やった方がいいに決まってると僕は思う。しかしそこには肉離れ、アキレス腱断裂、足関節捻挫などの危険が常に同居する。
食べ歩きは多くの人がしている遊び。味覚という感覚を使った娯楽。本来食事というのは楽しむものではなく、生きていくために必要な行為である。生きるための食事とはまた別に、楽しむ食事というのも良い遊びだと思う。
素敵な写真を撮ってインスタなどに載せているイケてる大人も多い。「美しい」と感じたものを形に残す。その感動を人に伝えることはまさに大人のイケてる遊び!!
美術館へ通ったり、音楽を嗜んだりと、一流の超イケてる大人はその美的センスが素晴らしいなと思わされることが多々ある。みんな頭で正解探しなんかしていなくて、自分の感性の赴くがままに楽しんでいるんだなー。一流に触れることは、自分の世界を広げてくれる。だからこそ良い仕事をする人ほど、良い遊びを沢山知っているのだろう。
そして僕がオススメしたい大人の遊びは「発酵食品作り!」
これは古くから伝わる日本の文化に思いを馳せながら、今すぐに結果の出るものではない「発酵」という過程を通した奥深いものである。発酵していくそれぞれの時期に応じた「視覚」「嗅覚」「味覚」の変化が楽しめる。そして発酵食品とは微生物との共同作業であり、私たちの思い通りにはならない。仕込む時の環境、仕込んだ人の手、醸す場所、醸す期間、様々な条件で発酵の過程は変わり、味の変化も起きるもの。
同じ味噌は二度と作れない。これが手作り味噌の醍醐味であり、自分の感性を究極に楽しませてくれる遊びでもある。何より味噌って身体にサイコーに良いし。
何が言いたいかというと、とにかく大人はたくさん遊ぶべきである!
自分が経験した「美しさ」の限界が、これから自分が作り出せる「美しさ」の限界の基準になるわけだから。感性が鈍いのに、素晴らしい作品は作れない。素晴らしい世の中にしていく働きかけをするためには、とにかく遊べ!ということ。
そんな風に思うわけです。
そしてそして・・・
沖縄で味噌作りワークショップやります!
食べること、身体のこと、触ることってどんな感じ?│セミナー企画活動/ITラボ
日時:2/11(日) 14時~17時
場所:沖縄男女共同参画センターてぃるる
参加費:4000円(材料費込み)
申し込みはリンク先からお願い致します!
ぜひぜひ沖縄の皆様にはご参加いただけたらと思います!
当日は横浜の老舗麹屋さんの米麹を準備していきますので、沖縄の味噌とはまた違ったここだけの味噌が出来上がることと思います!!