価値観の変わった日〜2011.7.17@雄勝〜
こんにちは。ささやんです。
今日は嬉しいことに、質問箱に一つ質問が届いていたのでその回答をしていきたいと思います。
被災地支援の活動などすぐに行動しているのには、何かしらの原体験があるのですか?
ということでした。
本当に僕は何もしていないし、大した行動力もないので何とも答え難い部分もあるのですが・・・
でも、何かしら少しでも力になれればという思いはあったのだと思う。
今回の西日本豪雨に対する支援に至っては広島のPT橋本くんという子の行動力に感化されたというか・・・彼の発信を見ていて何か少しでも橋本くんの力になりたいな!と思ったのがきっかけ。
皆さん、ご協力ありがとうございます。
— 橋本 康太🌏災害リハビリ実践中 (@hasiii0721) 2018年7月9日
明日よりボランティアセンターが立ち上がるので物資や人的ボランティアなどの大きな動きはそちらがハブになると思います。
僕は行政にできない小さい動きをしていきます。 https://t.co/RpwjPJw3FQ
橋本くんは広島のPTでまだまだ僕よりも若い青年。
今回の西日本豪雨でも、自身が被災に遭いながらも現地ですぐに支援活動を始めていた。本当に素晴らしいセラピストです。
それだけすぐに行動できるのも、日頃からの地域の中での役割というか、繋がりや関係づくりの賜物なのだと思います。そして何より橋本くん自身の在り方が「周りの人達」への配慮が当たり前になっているからなのではないかと察します。
橋本くん自身にも、今回の被災や活動を通して何か僕らに伝えたいことを伺ったところ、このように返ってきました。
本当に日頃からのつながりが大事です。
ある人には情報や物資は届くのに、ある人には届きません。
この差は、日頃から近所の人にどれだけ関係性を持ち、相手に価値を与え続けたかの差だと思います。
普段、つながりというのはあまり価値がわかりにくいですが、災害時には顕著に現れます。
このメッセージは非常に貴重な現場の声ですし、僕自身もこの言葉を胸にしまいながら日々の生活を送っていきたい。やはり大切なことは人と人との繋がりであると改めて思わされました。
今回は被災された方々の元へ直接行って支援することはできていませんが、橋本くんをはじめとする支援している人に対しては直接メッセージも送れる。わずかでも直接必要物資を送れる。
とにかく橋本くん達の活動を応援することしかできないけど、それだけでもやりたいという気持ちはありました。
そんな想いから、ほんの少しだけど義援金を集めて直接送るという形で、自分がすぐにできる行動に移したのかもしれない。動機は厳密には自分でも分からないけど、まだ今後も継続していきたいと思っています。
きっかけの体験
本題です。
原体験があるのですか?とのことですが、幼少期の何かが僕の人格を形成して震災などへの問題意識が高くなっているというより、東日本大震災が自分の価値観を大きく変えた出来事でした。なので原体験というより価値観が変わった体験が7年前にあったという感じです。
きっと日本中の多くの人があの日をきっかけに何かが変わったのではないか。それは社会を見ていても感じること。
このブログは読者も全然いないのだけど(悲しき!)、それでも不特定多数の人の目につく媒体であることには変わりない。あの震災で悲しい想いをされた人もいると思うし、あまり僕なんかがベラベラ書くのも気が引けるけれど、でもそこで感じたことというのは自分の人生において大切な教えになっているので、少しだけ震災を通じて気付かされたことを書かせていただきたいと思う。ちょっと長いので興味のない人は読まない方がいいかも・・
震災のあった当時の僕は社会人3年目になる直前くらいで、運動連鎖アプローチ研究会の山本先生のところへよく勉強に通っていた。
そんな時期にあの大震災が起き、関東ですら大きな揺れに見舞われ、混乱を招いていた。
震災が起きた直後から、山本先生はすぐに行動し始めていた。当時からTwitterは情報網としてかなり有益な機能があり、それらを通じて同じ志の仲間と自然とチームができあがり、宮城県石巻市の雄勝という地域を中心に支援活動を行うチーム(face to face)ができました。
山本先生やりぷらすの橋本さんなど、先輩方の行動力にただただすごいなぁと感嘆していたのですが、その熱量に影響を受けたのか、いつからか「自分には何もできない」という気持ちから「自分にも何か役に立てることがあるんじゃないか?」という気持ちが芽生えた。
そして2011年7月に、山本先生からも背中を押していただき僕自身も雄勝に現地入り。被災によってリハ難民となっている方の調査や仮設住宅でのリハ介入などを行うことに。(熊本の富永さんやライターの松陽さんと一緒に活動しました)
その現場で僕はひたすら無力感を感じることとなった。今振り返っても本当に何も出来なかったなぁと思う。“何か少しでも役に立てるんじゃないか”という思いは僕に一歩を踏み出させてくれた。しかしそんな傲慢な思いがあった為か、被災地で何もできない自分に対し自己嫌悪に陥った。そういう精神的な部分の弱さも含め、今思えば反省しかない活動になってしまった。
自分が急にちっぽけに思えた。元々ちっぽけであったことには変わりないのだけど、ごまかしのきかない現場で悔しいほどに現実と向き合わされた。
いくら技術があっても、治療ができたとしても、人の「カラダ」にばかり囚われていれば、あのような現場では何もできない。
「話を聞く」ということ。
「声を届ける」ということ。
「触れ合う」ということ。
「向き合う」ということ。
「人間としての自分の在り方」
人と人との関わりというものをどれだけ軽く見ていたのだろうか。それまで自分の世界で生きてきたのだろう。ごまかしながら生きてきたのだろう。
今すぐそんな当時の自分にパンチしてやりたい。
そしてそれは今でもできているのか?と言われれば、まだまだ未熟である。
一本のビデオテープ
そんなダメダメの僕の価値観を変えたのは、被災地で見た被害の現実でした。
そこには当たり前の生活が姿を変えた形で雑然と遥か遠くまで広がっていた。
自分にとっての当たり前が、ここでは当たり前でなくなっていた。
僕の家のビデオラックに当たり前に入っていたディズニーのビデオも、そこでは瓦礫の中に埋もれていた。
誰かの日常が奪われた現実がそこにはあった。
「普通」とか「当たり前」と呼ばれるそれが、どれだけ贅沢なことなのだろうか。
その時は被災地に立っていても、また数日語には自分には帰る家がある。そんな普通のことがどれだけ恵まれたことであるのか。
当たり前が奪われた生活があり、多くの人が犠牲になった現実。
テレビ画面越しに見ているだけでは、どこか非現実的に思えていた。
支援するという立場で、自分も何か役に立てることがあるんじゃないか?という傲慢な想いを持ちながら向かった被災地。
その現場で現実を知った。
それは、「何もできない自分」という現実と
「生きているだけで幸せなのだ」と気付けた自分
この被災地へのボランティア活動を経て、何かが変わったか?と問われれば、自分自身の価値観が大きく変わったことは確かであった。
何もできなかった。
気付かされることばかりであった。
そんな体験が、現在の自分の活動に影響しているのは確かである。
すべての当たり前に感謝できるようになった。
忘れてしまいそうになることも沢山あるけれど、忘れない。「普通」のありがたさ。
「普通に生きてる」という幸せを噛みしめれば、「普通」が失われた人たちへ何かしらの支援をするのは躊躇なく取り組める。
今後、僕が些細なことへの感謝を忘れ、欲望にまみれた醜い人間になっていたらパンチしてください。
長々と読んでくれた方、ありがとうございました!
そして質問者の方、どうもありがとうございました。
また質問受け付けています。