発達運動学コースでの学び
昨日は法人で専門職向けに主催させていただいている勉強会「発達運動学に基づく運動機能の捉え方」のコース第5回目が開催された。
講師は同い年であり、昨年のリアル臨床で知り合った小島さん。
知り合ったというか、僕が小島さんの話を聞き感銘を受けたので、「自分自身も、そしてもっと多くの人にも深く聞いて欲しい!」という思いからコースセミナーの開催を打診し、快く引き受けていただいた。
毎回、受講生のことをとても熱心に考えて内容を練ってきていただき、また僕らスタッフへの心遣いも1つ1つの言葉や行動から伝わってくる、とても人間的に温かい魅力的な人。
またそんな小島さんの後輩たちが毎回アシスタントで参加してくれているのだけど、その後輩達も驚くほど全員が人間として魅力的な方ばかり。これには僕らスタッフも初回から驚きを隠せなかった。
「なんでこんなステキな人ばかりなのですか?」
そう聞くと、この小島さんの所属している療育施設は「人間性」をかなり重視して人員を選んでいるとか。
子どもが相手の現場。子どもの感性はとてつもなく鋭いということを考えると、当然優先順位はそこになってくるよね。小児領域では若手が少ないという話を聞いたこともあるけど、これだけ素敵な若い人たちがその現場にいるというのは財産だろうなぁと。本当に関わっていて気持ちのいい人ばかりである。
それぞれの現場にあるもの
昨日のセミナーで、僕は何度か泣きそうになった。
まず、会場となった療育施設の場の空気感。
まだ比較的新しい施設で綺麗だったし、設備も非常に充実している。初めて見るものも多く、色々と説明を受けながら興奮していた。
珍しいものが沢山あって感激して泣きそうになったわけではない。
うまく言葉にできないけれど、きっと日頃の僕の臨床現場と比べて、この現場には何か違った重みというか、子供達の人生を背負った場であるような印象を受けたのだろうか。
臨床現場に優劣はないけど、それぞれで求められてくるものの質は変わってくる。
僕はクリニックでずっと務めているけど、そこでは「命」を考えさせられる機会はあまり多くないかもしれない。「今後の長きに渡る患者さんの人生」を考えさせられる機会もあまり多くないかもしれない。
それは「命」が安定している人がほとんどであるし、社会との接点を持った人がほとんどであるから。(もちろんそうでない人も一定数いるし、その時はまた色んなことを考えさせられる)
どちらかというと、病態もある意味で安定しているので症状そのものにフォーカスを当てすぎることはなく、これまでの患者さんの人生・歴史を考えさせられる場面が多い印象がある。
小児施設では、身体に不自由を抱えて生まれてきた子と、その家族との現場である。その方達にとっての「理学療法士」や「医療従事者」としての存在は、どれほど心強い存在であるのか。その重さみたいなものをこの空間から肌で感じ、自分の仕事について考えさせられた。理学療法士という仕事にまた一つ誇りを感じたと同時に気を引き締めさせられた時間でもあった。
受け入れる
昨日のセミナーはこれまでの内容を用いて、受講生同士でペアになり運動機能を評価していく。
そして相手の身体の状態に合わせた強度で、目的に沿った介入アイデアを出していくという内容であった。
最終的には小島さんにも評価結果を確認をしていただきながら、なんでもありの介入アイデアを出していく。
オモチャを使って環境設定に工夫を凝らしたアプローチ
機能レベルの高い人には、それなりの負荷量で刺激ある楽しさを
そしてまだ重力に対して身体を支える機能が弱い人には、このようなポジショニングで負荷量を考慮しながらの介入を
このように重力下において姿勢を保持できない成人も、クリニックで臨床しているとよく出くわす。細身の女性で体幹筋は弱く脊柱フラット傾向であり、いわゆる慢性疼痛の人などにも多い印象がある。
筋力は弱いのだけど、防御反応は強い。
心理的にも何かしらを抱え込んだ人も多いような印象もあった。
小島さんは新生児期の赤ちゃんのように、まずは「触られることに慣れるところから」と介入されていた。
クリニックの現場でも、触れると緊張してしまう患者さんは多い。そこでよく「力を抜いてください」という声かけをしている人もいるし、僕もそうであった。
しかし、この声かけはしっかり相手と向き合った結果出た言葉なのか?それとも自分勝手に言っているだけの声かけなのか?そこでまた大きく意義は変わってくるのだろうけど、ほとんどの場合が後者ではないだろうか。
小島さんの介入は、「力を抜いて」とは一言も言っていなかった。その状態の相手をすべて受け入れることから始まる。
これはきっと日頃の臨床がそうなのであろうと思うし、だから当たり前にそうされているのだけど・・僕はこの関係性を見てまた涙が出てきそうになった。
例えばですが、慢性疼痛と親の愛情不足とは関係が深いという話も聞く。現に臨床でもそのような人間関係の拗れがある慢性痛患者さんは一定数いらっしゃる。
赤ちゃんの頃に沢山触れられて、抱っこされるいう経験。それは後々にも身体の反応として大きく現れてくるのだと気付かされる。
どんなに姿勢が悪くても、
どんなに緊張が強くても、
どんなに筋力が弱くても、
相手の身体には歴史があり、相手はその身体を使って日々生きている。
その身体に対して「姿勢が悪いですねー」「硬いですねー」「筋力が弱いですねー」なんていうことを無神経に相手に浴びせることが、どれほど相手を敬っていない言葉がけであるのか。
もちろん必要な場合もある。それ観ればわかるもの。
正論を言うことが、どれだけ相手との関わり合いの中で意味をなさないものなのか。
「その言葉は相手と向き合っていれば出ないはず。」という言葉を、どれだけの人が日頃から無意識に自分勝手に使ってしまっているのだろうか(自戒の意味も込めて)
相手を受け入れることが、向き合いのスタート。
そんな人と人との関わりを。向き合うという具体を。愛に溢れた介入を、昨日のセミナーでは小島さんにみせていただいた。
素晴らしい臨床家の現場をみれること。
こういった機会は多くの気付きを与えてくれる。
ありがとうございました。
※発達運動学に基づく運動機能の捉え方コースは第2期を2019年1月から開催予定です(土曜18:30〜20:30×全6回)
小島先生の主催されている研究会