ささやんブログ

"いま"を醸していく

高速道路のおじさんから挨拶を学ぶ

先日、高速道路に乗る機会があった。

久々にETCがない状態で乗ったので、インターでおじさんとお金のやり取りをする。

 

 

 

 

おじさん「おはようございまぁす!」

「おはようございます!」

 

 

 

 

 

この感じ、文字にするとなんとも寂しい当たり前感満載な記号の羅列にしかならないのですが・・

 

久々に挨拶というものをされたように感じた。それと同時に、自分の日々の挨拶は挨拶になっていないと考えさせられた。

 

 

 

 

その言葉は誰に向かってるのか?

 

一瞬の出来事だったからその時のことは後から分析するしかないのだけど、無意識に相手に向けて挨拶を返している自分がいた。

 

 

挨拶はされたら返すのが基本だと頭の中で思っている人もいるかもしれない。確かに礼儀的にはそうだよね。

 

でも例えばコンビニとか、ファミレスとかの接客場面で機械的に繰り出される「おはようございます」に、無意識に挨拶をし返すことってあります?

あると会う人は素晴らしいですけど、残念ながら僕は大体返しません。返さないというか返せないことが多い。挨拶をされたことにも気付かないこともある。誰に言っているのかが分からないし、相手も自分に向かって言っていないから、僕が挨拶を返さないことでどうこうという様子も見受けられない。

 

 

「挨拶はされたら返すもの」

これは知識としてそう思っているだけであり、頭での判断です。

 

 

しかし僕が先日した体験は判断ではない。咄嗟にというか、気付いたら挨拶を返している自分がいた。確実に判断ではなく反応であった。

 

 

 

 

これが対人関係の中で大切なものであり、ごく当たり前の常識的なものなのかもしれない。

 

 

 

 

誰に向かって挨拶をしているのか?

 

その挨拶は相手にちゃんと言っているか?

 

相手にしっかり届いているか?

 

 

 

 

 

相手との関係で何かが届けば、相手から反応が返ってくる。

 

挨拶などの言葉を介したものだと分かりやすいけれど、これは頭の判断ではなく身体の反応としてのリアクションであるから、言葉を介さなくても言えるのだろう。

 

 

 

相手に作用しなければ、何も返ってこない。

これは挨拶もそうだけど、臨床なんかまさにである。

 

 

 

自分の意識はちゃんと相手に向かっているか?

 

そう思ってるだけで、本当に相手に作用しているのか?

 

 

 

 

日々の挨拶から見直すきっかけをもらえた。

声の大きさとか、そういうことじゃない。

 

おじさん、ありがとう!!(声もデカかったけど、それだけじゃない挨拶だった!)

 

 

 

 

 

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