ささやんブログ

"いま"を醸していく

自由でない人間

こんにちは。ささやんです。

 

成人の日ですね。成人の日って何かと天気が崩れやすい気がしませんか?数年前は大雪だったし、そのさらに数年前も雪の日があったような、なかったような・・

 

さて、昨日のブログで僕はこのようなことを書きました。

 

“自分自身の癖”というのは何かしらの意図を持たなければ中々変えることはできない。というか何かを変えなければ気付くことさえ難しいもの。何も意図を持たなければ、結局はこれまで通りの自分です。(もちろん環境の変化などの影響を受けて、意図を持たなくとも自分の選択が変わることはあります)

 

これは短い文章なのですが、僕のこれまでの様々な経験から書いた文章です。

今日はその経験のきっかけともなる、自分自身を変える大きな出会いを紹介したいと思います。

 

 

本との出会い

そのきっかけの一つは「7つの習慣」という本との出会いです。これは世界で3000万部を売り上げた超有名な本なので知っている人も多いと思うのですが、この本に書かれている一文「自分の身に何が起こるかではなく、それにどう反応するかが重要」という文章が非常に印象的で、物事に対する考え方をシフトしてくれたように思います。

自分自身に起こる出来事(客体)に責任を転嫁するのではなく、その出来事を受け入れて自分がどう行動するべきかを考えるようになりました。つまり「主体的になった」ということ。昔の自分は嫌なことがあれば、それに対して文句を言いながら変えることのできない現実が変わってくれないかと願うばかり。自分の身に起こることによって反射的に自分が勝手に作られてしまうような状態でした。

しかし「何が起こるかではなく、どう反応するか」という言葉から、自分自身の反応を自分でコントロール(選択)しようとするようになりました。すると様々な気づきが出てきたわけです。自分にとって嫌な出来事は、何が嫌なのか?なぜ嫌なのか?それに対して自分はどう反応すればよりベターなのだろうか?

それまで反射的に作られていた自分の反応は、まず事実を受け入れて考えて、そこから反応を選択するようになりました。そのことで自分を見つめ直すという機会も格段に増えたし、自分という人間を俯瞰するような癖がつきました。そして何より自分は自由なのだということに気づけたわけです。(それと同時に本当の意味で自由ではないとも思わされる)

 

そういった経緯から“自分自身の癖”というのは何かしらの意図を持たなければ中々変えることはできない。というか何かを変えなければ気付くことさえ難しいもの。何も意図を持たなければ、結局はこれまで通りの自分です。という気づきが生まれたのです。

これまで通りの自分」というのは、反射的に作られてしまう自分ということ。「意図を持つ」というのは事実を受け入れて考えてから選択するということです。

考えて選択するためにはそういった意識を持つ必要があり、それはつまり何かしらの基準を持つのが大切なのではないかと思うわけです。

 

運動も同じ

理学療法士として、患者さんに運動療法をお伝えしていても同じようなことを感じます。例えば患者さんの動き方を変えるために自主トレを伝えたりするわけですが、患者さんの思うままに動いてもらうだけでは動き方は何も変わらないわけです。

姿勢の歪みは、その人にとって歪みのある位置が心地よいのです。歪んでいる状態が本人にとって「まっすぐ」ということも多いわけで、歪みを修正するように動くことは窮屈であり「違和感」となったりします。大切なのはなぜ歪んでいるのかを考え、歪みを直すのに必要な運動を選択していくことです。歪んだ位置を自分なりに真っ直ぐだと思っているうちは歪みは変わらない。かといって歪みを無理に修正するような運動はかえってリスクを伴うこともあります。

 

スポーツでも同じようなことが言えます。下手な人が下手なりにガムシャラに努力しても、下手な状態が強化されるだけということがあるわけです。

 

あえてキツい表現をしますが、ダメな自分を変えたいのに、ダメな自分がダメな頭とダメな身体で思うがまま行動を選択しても何も変わりません。何がダメなのかを受け入れ、どうすれば良くなるかを考えて意図を持って行動を選択する必要があるわけです。その先に無意識的な自分の在り方が作られていくのでしょう。

  

人との出会い

上述したように「意図を持つ」というのは大切だと考えています。だけどそれだけではなく、「環境の変化などの影響を受けて、意図を持たなくとも自分の選択が変わることはあります」とも書いています。人は環境との相互関係の中で「自分」が作られていきます。そのことを考えると、意図を持たなくても環境によって「自分」は変わっていくはずです。

僕は先ほど書いたように、本と出会って自分自身の行動を選択するような意図を持つようになり、そのことが今の自分を作り上げる大きなきっかけであったと思うわけですが、それ以外にも自分を作り上げる大きなきっかけがあります。

その最たるものが「人との出会い」です。

どのような人間と出会うかは、自分を形成するのに非常に大きな影響を与えてくれます。特に幼少期の教育は価値観の形成に強く影響するため、親や学校の先生などの影響力は強いだろうと想像できます。そして青年となり成人し、やがて親や先生から離れて多様な価値観の人たちと出会う機会も増えてくるかもしれません。その時に「自分が当たり前だと思っていた価値観が当たり前ではない」と気付かされることがあります。その経験は意図せずに自分が変わるというきっかけにもなります。そうしたことに気付かせてくれる人との出会いはありがたいことなのです。

 

ということで、僕に非常に大きな影響を与えてくれた人を紹介したいと思うのですが、今日のブログは長くなってしまったので次回書いていこうと思います。