自分を育てるヒント
昨日は昨年3月に開催して以来、半年ぶりの
「身に気づくワークショップ」でした。
講師はおなじみのおもさん。僕が昔からお世話になりっぱなしの、尊敬できる友人です。
参加者もおもさんの直接の知り合いの人から、初めてという人まで様々な背景を持つ方々が遠方からも集まってくれた。
ワークショップでは「触れる」をテーマに様々なワークに取り組む。「触れる練習」は一切やらず、背骨のワーク、手のストレッチ、感じるワーク、一緒に歩くワークなどなど、一見バラバラなことをやっているようであるが、それらのワークを行うことでの「触れる」の変化を参加された方々は具体的に感じ取れたことだと思います。
相手に向かって声を出したり、相手に向かって歩み寄っていく。対人関係のワークには必ず「自分」と「相手」が存在する。つまり自分が何かをしているつもりでも、相手にそれが作用しているかどうかは具体的に表出されてくる。「しているつもり」では、何もしてないのと同じ(むしろ違和感を与えるだけ)なので、当然上手くいかないことが次々と目の前に出てくる。
その時に、その状況とどう向き合うのか?そこの取り組み方というのが人間として最も必要な資質の1つではないだろうか。
「主体的」に取り組めるかどうか。
それはつまり、自分ごととして事実を事実として受け入れられる器を開いているかというところがスタートなのかもしれない。
人に成長させてもらうことなどできない。
自分が自分の人生を主体的に歩み続けなければ、振り返った時に何が残るのだろうか。振り返るのが恐ろしくはないだろうか。
自分で取り組むからこそ、「気づく」のである。
ワークショップ終了後には借り物の満足感や作られた高揚感などない。
ただ自分の課題が浮き彫りになり、それをどう解決していこうか。そのヒントは沢山体験できた。
次回は3月24日の予定。
半年間でまた、相手に作用できる関係性を磨き上げたい。
必然性を
自分より高いレベルの人とプレーをする。
この大切さはスポーツをしていて強く感じたことでもある。
僕は学生時代にずっとバスケットボールをしていたのでその経験から例えて言うならば、日頃から上手い人とプレーをしていれば、自分がボールを貰うために必要な運動量や、頭を使って考えなければならないことも必然的に増えてくる。なんとなくプレーしていては、厳しいディフェンスに対してボールを貰うことすらできない。レベルの低い中でプレーしていれば、そんなことはないのだけど。
つまり自分の能力がどうこうという以前に、どんな環境でプレーをするのかによって、そもそもボールを持ってプレーをするために必要な条件が全然違うということである。プレーするために「運動量」とか「身のこなし」とか「チームでのフォーメーション」とか、様々なことが必要になる。
だから必然性に駆られ、そういった能力は自然と高まってくる。でなければボールを持ってプレーすらできないのだから。
大切なのはこのような「必然性」
いくら個人技を練習をしたところで必然性は生じない。
努力をしているつもりになっていても、それは自分勝手な努力でもある。
必然性は環境が与えてくれるもの。必然的に取り組んでいるというのは、努力でもなんでもない。それは能動的な取り組みというよりも、受動的な取り組みに近いのではないか。取り組まざる得ない状況であるのだから。
成長とは「自ら起こすもの」ではなく、「自ずから起こるもの」なのかもしれない。
必然性が生じる。そんな環境に身を置く。
それによって人は成長せざるを得ないのかもしれない。大切なのはやはり、どんな環境に身を置くかということ。
人は環境と調和するのだから。
惚れてまうやろーー!な1日。
こんにちは。ささやんです。
先日、9月16日に僕らの法人で主催するイベント「ふうふやファン集まれ!山中錠一に惚れてまうやろーー!な1日!!(仮)」が無事に終わりました◎
朝から晩まで一日中講師の山中さん、対談イベントで登壇してくださった柿澤さん、そして参加してくれた皆様や一緒に企画・準備・当日の運営をしてくれたスタッフの仲間みんなに本当に感謝しています。
今日はそんなイベントの報告ではなく、「高齢化は進んでいるのに、髪の毛を紫色に染める高齢者が減った要因について」の一考察を記事にしていきたいと思います。
なぜ髪の毛を紫色にしてしまうのか?
この疑問は僕が小学校3年の頃からずっとずっと持ち続け、そして今でも答えの出ない問いでもあります。
「なぜお婆さんは髪の毛を紫色に染めるのか?」
これまでこの質問を幾度となく大人たちにしてきたが、納得の得られる回答に出会えたことはない。
「落ち着いて見えるからじゃない?」
いやいや、どう考えてもファンキーすぎる!髪の毛紫色って体育祭の日の高校生と同じだし!って思いませんか?
いやいや、お前は何を書いているんだ?って思いますか?
そうです。今気付いたんです。
僕は一体何を書いているんでしょうか?
アホなのでしょうか?
どう考えても今日書くべき記事はそれではない。
悲しい。けど、早めに気付けて良かった。
すみません。気を取り直していきましょう!!
山中さんとの出会い
はい。急転回して強引に話を戻しますが、9月16日は午前、午後、夜と山中さんをお呼びしてのイベント3本立てでした。
最初に山中さんとは?と知らない方のために最初に少しだけ紹介させていただきます。
山中さんは北海道出身で、現在は沖縄県で産前産後の女性向け整体院「妊産婦整体〜寄り添いのおうち〜ふうふや」を経営している理学療法士です。このふうふやさんは山中さんと超美人な奥様と2人で経営していて、全国からお客さんが足を運ぶ人気の整体院なのです。それだけファンがいる秘訣は、どう分析しても「ご夫婦の人間性」が一番!本当に人間として魅力的な方々なんですよね。
僕が山中さんに初めてお会いしたのは2015年3月。今一緒に法人を運営している仲間のクマ臓くんが主催した解剖学実習でした。(その出会いに関する記事を昔アメブロで書いてました→コチラ)
その後、2016年1月には解剖学実習メンバーで沖縄セミナーを開催!
(僕はマスクマンとして登壇。そんなふざけたことをしたせいなのか、この日は沖縄で100年ぶりに雪が降ったとか・・)
そして2016年9月には先ほどリンクしたアメブロ記事でも紹介したセミナーを開催!
さらに昨年9月は家族で東京に来ていた日に「会いたい!!」と無理を言って、代官山のオシャンティーなカフェで家族会。
もうね。完全に虜ですよ。その人間性が好きすぎるんです。
そんな魅了されている状態の僕は、今回も会場が確保できた瞬間から「山中さんを呼びたい!!関東でもみんなが山中さんに会える機会は必要や!!」と思い、アポを取りました。
会うたびに言葉の重みが増している山中さん。今後も定期的に一緒に何か企画できたら嬉しいです!
産前産後の女性のためのワークショップ
さて、そんな経緯で今回の企画は始まったわけです。
午前中は一般の女性向けワークショップ「産前産後の女性のためのワークショップ」を開催。
「沖縄で四日間かけて行なっているコースの内容を、90分に詰め込んでください!」という僕の無茶な要望にも全力で応えてくれる講師の山中さん。本当に大好きです♡
本当に4日間の内容を凝縮してたっぷりと詰め込んでいただけ、のんびり進めることなく、かなり良いテンポでめちゃくちゃ情報量の多いフルコースなワークショップを開催していただけました!
これは内容の充実度が高すぎる!と主催者ながら感じました。参加された方々は本当に貴重で値段の10倍価値がある90分であったと思います!
しかし受けているともっとじっくり学びたいところですね!そんな方は是非沖縄まで足を運んで、ふうふやさんのコースに出てみてください!これだけの内容は関東から沖縄まで通う価値があるかと!
ワークショップの反省点としては、まず会場の狭さとタバコ臭さ(隣が喫煙室でした涙)・・・これは本当に今後の改善点として生かしていきます。そんな環境の悪さを吹き飛ばしてくれるようなワークショップを有難うございました!
あっ、ご参加された方々も、そうでない方々もNPO法人presentsのLINE@にご登録いただくと、今後も有益な情報を発信していきますよ!
専門家向け産前産後セミナー
午後からは専門職向けのセミナー「産前産後の身体の診方と関わり方〜山中錠一が大切にしている想い〜」を開催!
近年はウーマンズヘルスについて学ぼうと思えば、いくらでも学ぶ場はあると思います。しかしそんな中でも山中さんからしか学べないことがあります。
それは山中さんの想い。
どれだけの想いがあり、どんな信念を持って「ふうふや」を経営し、お客様と向き合っているのか?
そこを感じ取ってもらえることにこのセミナーの価値があると考え、山中さんにも事前に「山中さんの想いを詰め込んでください!」という依頼をしていました。
多くの整体院が存在し、そしてその多くが1年以内に廃業したりと苦難を強いられます。
そんな中、ふうふやは全国のお客様から選ばれ続けているわけです。
その違いは何なのか?知識や技術?経営戦略?確かにそれもあると思います。山中さんも知識・技術ともに素晴らしい臨床家です。
しかしそれだけではない。知識や技術と、相手に満足していただけることには必ずしも相関はないと僕は考えています。
もっと大切な土台がある。それは、いかに目の前の相手と真摯に向き合えるか?ということ。人間性の部分です!
言葉で書けば当たり前のように見えることですが、僕を始め多くの人が中々できていないことだと思うんです。
相手と向き合うとはどういうことなのか?
どんな想いで一人一人のお客様と向き合っているのか?
産前産後分野での関わりであっても、最も大切なことは何なのか?
そんなことを改めて考え直させられる、本当に素晴らしい内容のセミナーをしていただけました。
「治療効果の出せるテクニック」の紹介はありませんでしたが、「テクニックの治療効果を出すために必要なこと」は沢山詰め込まれていたように思います!
それは「相手の話を聞く」ということであり、「言葉の裏側を察する」ということであり、「相手主体で向き合う」という姿勢なのではないかと思います。
相手主体でありながらも、山中さんのもつ強靭な信念がエネルギーとなり相手に影響する。そんなように感じさせられました。
これまたタバコ臭い劣悪環境の中、講師・受講生の皆様本当に有難うございました!
午前中のワークショップを受けて、急遽午後も受講してくれた方も数名いました。それだけ山中さんの言葉には力があるのだと思います。
ちなみに今回のセミナーを受講された方々には割引も適用される、ウーマンズヘルスを学ぶのに非常にオススメのセミナーを10月にも開催します!
それは産前産後のママと切っても切り離せない「妊娠中・新生児・乳幼児期」など、赤ちゃんの発育発達に関わる内容をお伝えするセミナーです!
このセミナーもかなり貴重な機会になると思いますので、このチャンスにご参加ください!
対談イベント〜これからのセラピストの働き方を考える〜
ほい!3本立てのラストは対談イベント「これからのセラピストの働き方を考える」を開催!
会場はみなとみらいにあるBUKATSUDOというオシャンティな空間。場所がわかりづらく、迷いに迷って汗だくで到着した人もいたようで申し訳ありませんでした!しかしオシャンティすぎて僕はかなりこの会場を気に入りました◎
このイベントの登壇者は山中さんに加えて、こちらも僕が個人的に大ファンである柿澤健太郎さん。
柿澤さんは27歳の時に「1年かけて世界一周をバックパッカーで旅しながら、世界中の人を500人施術する」という、聞くだけでもワクワクする経歴をお持ちの方です。
山中さんも柿澤さんも僕より1歳年下なのですが、本当に年齢とか関係ありません!人間性も素晴らしく尊敬できる方々なのです。
このイベントも当初は集客という面で苦労していましたが、逆に非常にフットワークの軽く意識の高い方々にだけ集まっていただけ、20名程度の参加者だけでとっても楽しいイベントになりました◎
山中さんが考える今後の展望(本邦初公開)も聞けたし、柿澤さんのブログには書けない秘話や、帰国後の今の働き方の話も非常に興味深いものを聞くことができました!
お二人は社会に対するアプローチの方法は違えど、それぞれの軸となっている部分は同じように感じます。理学療法というのはあくまでも手段であり、武器であるということ。
その武器を使う場合は、ルールを守って慎重に。
しかしその武器にこだわる必要はなくて、あくまで自分の人生をどう生きるか?それを柔軟に、そして力強く考えて行動していらっしゃる印象を受けました!
ファシリテーターとしての僕の役割は、台風の日の折り畳み傘くらい機能しませんでしたが、お二人の圧倒的な言葉の力に参加者の皆さんはとても大満足してただけたイベントになりました◎
ちなみに柿澤さんのお話は10月7日に東京で開催されるリアル臨床で。
さらに11月11日には沖縄でのイベントでも聞くことができます!!
本当に柿澤さんの話は聞いた方がいいと思うし、何よりその素敵な人間性に触れてほしいと願っています!
イベント終了後は希望者で二次会へ
なんと予想を超える15名の参加者で、連休ど真ん中の観光地に入れる店はあるのか不安でしたが、なんとかぎゅうぎゅう詰めで皆で終電まで余韻に浸ることができました(^^)
SNSで繋がっていてお会いしたことのない方々にもお会いすることができ、とても刺激的で良い1日になりました^^
今回の企画・準備・運営を通して、反省点だらけで多くの方々にご迷惑をおかけしましたが、やはり「開催してよかった!」と強く思います!それくらい最高に楽しい1日になりました◎
今回参加してくださった方々からも、多くの良い感想をいただけたことが主催者としてはとても嬉しいです。
このような記事を読ませていただけると本当に嬉しいですね!
他にもTwitterやFacebookなどで嬉し声をたくさん聞けて、非常に励みになっています!
今回の学びを生かしてさらに前進し、法人の本来の目的である「自分が自分らしくいられる社会」を創るために、地域住民の方々へ還元していけるよう行動していきます!!
special thanks
講師の山中錠一さん
登壇者の柿澤健太郎さん
午前・午後・夜とそれぞれの受講者の皆様(SNSで繋がってくれた皆様、わざわざお声をかけていただいた皆様嬉しかったです!)
運営スタッフの田中めぐみさん、吉澤美里さん
NPO法人presentsのスタッフのみんな
そして僕らに関わってくれている全ての方々へ
本当に有難うございました!
今後もみなさんのご活躍を祈って今回の記事を締めたいところですが、話を急転回させて、紫色の髪の毛に染める高齢者がなぜ減ったのか?について、これから綴っていこうかと・・・・
(次回に続く・・・)
価値観の変わった日〜2011.7.17@雄勝〜
こんにちは。ささやんです。
今日は嬉しいことに、質問箱に一つ質問が届いていたのでその回答をしていきたいと思います。
被災地支援の活動などすぐに行動しているのには、何かしらの原体験があるのですか?
ということでした。
本当に僕は何もしていないし、大した行動力もないので何とも答え難い部分もあるのですが・・・
でも、何かしら少しでも力になれればという思いはあったのだと思う。
今回の西日本豪雨に対する支援に至っては広島のPT橋本くんという子の行動力に感化されたというか・・・彼の発信を見ていて何か少しでも橋本くんの力になりたいな!と思ったのがきっかけ。
皆さん、ご協力ありがとうございます。
— 橋本 康太🌏災害リハビリ実践中 (@hasiii0721) 2018年7月9日
明日よりボランティアセンターが立ち上がるので物資や人的ボランティアなどの大きな動きはそちらがハブになると思います。
僕は行政にできない小さい動きをしていきます。 https://t.co/RpwjPJw3FQ
橋本くんは広島のPTでまだまだ僕よりも若い青年。
今回の西日本豪雨でも、自身が被災に遭いながらも現地ですぐに支援活動を始めていた。本当に素晴らしいセラピストです。
それだけすぐに行動できるのも、日頃からの地域の中での役割というか、繋がりや関係づくりの賜物なのだと思います。そして何より橋本くん自身の在り方が「周りの人達」への配慮が当たり前になっているからなのではないかと察します。
橋本くん自身にも、今回の被災や活動を通して何か僕らに伝えたいことを伺ったところ、このように返ってきました。
本当に日頃からのつながりが大事です。
ある人には情報や物資は届くのに、ある人には届きません。
この差は、日頃から近所の人にどれだけ関係性を持ち、相手に価値を与え続けたかの差だと思います。
普段、つながりというのはあまり価値がわかりにくいですが、災害時には顕著に現れます。
このメッセージは非常に貴重な現場の声ですし、僕自身もこの言葉を胸にしまいながら日々の生活を送っていきたい。やはり大切なことは人と人との繋がりであると改めて思わされました。
今回は被災された方々の元へ直接行って支援することはできていませんが、橋本くんをはじめとする支援している人に対しては直接メッセージも送れる。わずかでも直接必要物資を送れる。
とにかく橋本くん達の活動を応援することしかできないけど、それだけでもやりたいという気持ちはありました。
そんな想いから、ほんの少しだけど義援金を集めて直接送るという形で、自分がすぐにできる行動に移したのかもしれない。動機は厳密には自分でも分からないけど、まだ今後も継続していきたいと思っています。
きっかけの体験
本題です。
原体験があるのですか?とのことですが、幼少期の何かが僕の人格を形成して震災などへの問題意識が高くなっているというより、東日本大震災が自分の価値観を大きく変えた出来事でした。なので原体験というより価値観が変わった体験が7年前にあったという感じです。
きっと日本中の多くの人があの日をきっかけに何かが変わったのではないか。それは社会を見ていても感じること。
このブログは読者も全然いないのだけど(悲しき!)、それでも不特定多数の人の目につく媒体であることには変わりない。あの震災で悲しい想いをされた人もいると思うし、あまり僕なんかがベラベラ書くのも気が引けるけれど、でもそこで感じたことというのは自分の人生において大切な教えになっているので、少しだけ震災を通じて気付かされたことを書かせていただきたいと思う。ちょっと長いので興味のない人は読まない方がいいかも・・
震災のあった当時の僕は社会人3年目になる直前くらいで、運動連鎖アプローチ研究会の山本先生のところへよく勉強に通っていた。
そんな時期にあの大震災が起き、関東ですら大きな揺れに見舞われ、混乱を招いていた。
震災が起きた直後から、山本先生はすぐに行動し始めていた。当時からTwitterは情報網としてかなり有益な機能があり、それらを通じて同じ志の仲間と自然とチームができあがり、宮城県石巻市の雄勝という地域を中心に支援活動を行うチーム(face to face)ができました。
山本先生やりぷらすの橋本さんなど、先輩方の行動力にただただすごいなぁと感嘆していたのですが、その熱量に影響を受けたのか、いつからか「自分には何もできない」という気持ちから「自分にも何か役に立てることがあるんじゃないか?」という気持ちが芽生えた。
そして2011年7月に、山本先生からも背中を押していただき僕自身も雄勝に現地入り。被災によってリハ難民となっている方の調査や仮設住宅でのリハ介入などを行うことに。(熊本の富永さんやライターの松陽さんと一緒に活動しました)
その現場で僕はひたすら無力感を感じることとなった。今振り返っても本当に何も出来なかったなぁと思う。“何か少しでも役に立てるんじゃないか”という思いは僕に一歩を踏み出させてくれた。しかしそんな傲慢な思いがあった為か、被災地で何もできない自分に対し自己嫌悪に陥った。そういう精神的な部分の弱さも含め、今思えば反省しかない活動になってしまった。
自分が急にちっぽけに思えた。元々ちっぽけであったことには変わりないのだけど、ごまかしのきかない現場で悔しいほどに現実と向き合わされた。
いくら技術があっても、治療ができたとしても、人の「カラダ」にばかり囚われていれば、あのような現場では何もできない。
「話を聞く」ということ。
「声を届ける」ということ。
「触れ合う」ということ。
「向き合う」ということ。
「人間としての自分の在り方」
人と人との関わりというものをどれだけ軽く見ていたのだろうか。それまで自分の世界で生きてきたのだろう。ごまかしながら生きてきたのだろう。
今すぐそんな当時の自分にパンチしてやりたい。
そしてそれは今でもできているのか?と言われれば、まだまだ未熟である。
一本のビデオテープ
そんなダメダメの僕の価値観を変えたのは、被災地で見た被害の現実でした。
そこには当たり前の生活が姿を変えた形で雑然と遥か遠くまで広がっていた。
自分にとっての当たり前が、ここでは当たり前でなくなっていた。
僕の家のビデオラックに当たり前に入っていたディズニーのビデオも、そこでは瓦礫の中に埋もれていた。
誰かの日常が奪われた現実がそこにはあった。
「普通」とか「当たり前」と呼ばれるそれが、どれだけ贅沢なことなのだろうか。
その時は被災地に立っていても、また数日語には自分には帰る家がある。そんな普通のことがどれだけ恵まれたことであるのか。
当たり前が奪われた生活があり、多くの人が犠牲になった現実。
テレビ画面越しに見ているだけでは、どこか非現実的に思えていた。
支援するという立場で、自分も何か役に立てることがあるんじゃないか?という傲慢な想いを持ちながら向かった被災地。
その現場で現実を知った。
それは、「何もできない自分」という現実と
「生きているだけで幸せなのだ」と気付けた自分
この被災地へのボランティア活動を経て、何かが変わったか?と問われれば、自分自身の価値観が大きく変わったことは確かであった。
何もできなかった。
気付かされることばかりであった。
そんな体験が、現在の自分の活動に影響しているのは確かである。
すべての当たり前に感謝できるようになった。
忘れてしまいそうになることも沢山あるけれど、忘れない。「普通」のありがたさ。
「普通に生きてる」という幸せを噛みしめれば、「普通」が失われた人たちへ何かしらの支援をするのは躊躇なく取り組める。
今後、僕が些細なことへの感謝を忘れ、欲望にまみれた醜い人間になっていたらパンチしてください。
長々と読んでくれた方、ありがとうございました!
そして質問者の方、どうもありがとうございました。
また質問受け付けています。
発達運動学コースでの学び
昨日は法人で専門職向けに主催させていただいている勉強会「発達運動学に基づく運動機能の捉え方」のコース第5回目が開催された。
講師は同い年であり、昨年のリアル臨床で知り合った小島さん。
知り合ったというか、僕が小島さんの話を聞き感銘を受けたので、「自分自身も、そしてもっと多くの人にも深く聞いて欲しい!」という思いからコースセミナーの開催を打診し、快く引き受けていただいた。
毎回、受講生のことをとても熱心に考えて内容を練ってきていただき、また僕らスタッフへの心遣いも1つ1つの言葉や行動から伝わってくる、とても人間的に温かい魅力的な人。
またそんな小島さんの後輩たちが毎回アシスタントで参加してくれているのだけど、その後輩達も驚くほど全員が人間として魅力的な方ばかり。これには僕らスタッフも初回から驚きを隠せなかった。
「なんでこんなステキな人ばかりなのですか?」
そう聞くと、この小島さんの所属している療育施設は「人間性」をかなり重視して人員を選んでいるとか。
子どもが相手の現場。子どもの感性はとてつもなく鋭いということを考えると、当然優先順位はそこになってくるよね。小児領域では若手が少ないという話を聞いたこともあるけど、これだけ素敵な若い人たちがその現場にいるというのは財産だろうなぁと。本当に関わっていて気持ちのいい人ばかりである。
それぞれの現場にあるもの
昨日のセミナーで、僕は何度か泣きそうになった。
まず、会場となった療育施設の場の空気感。
まだ比較的新しい施設で綺麗だったし、設備も非常に充実している。初めて見るものも多く、色々と説明を受けながら興奮していた。
珍しいものが沢山あって感激して泣きそうになったわけではない。
うまく言葉にできないけれど、きっと日頃の僕の臨床現場と比べて、この現場には何か違った重みというか、子供達の人生を背負った場であるような印象を受けたのだろうか。
臨床現場に優劣はないけど、それぞれで求められてくるものの質は変わってくる。
僕はクリニックでずっと務めているけど、そこでは「命」を考えさせられる機会はあまり多くないかもしれない。「今後の長きに渡る患者さんの人生」を考えさせられる機会もあまり多くないかもしれない。
それは「命」が安定している人がほとんどであるし、社会との接点を持った人がほとんどであるから。(もちろんそうでない人も一定数いるし、その時はまた色んなことを考えさせられる)
どちらかというと、病態もある意味で安定しているので症状そのものにフォーカスを当てすぎることはなく、これまでの患者さんの人生・歴史を考えさせられる場面が多い印象がある。
小児施設では、身体に不自由を抱えて生まれてきた子と、その家族との現場である。その方達にとっての「理学療法士」や「医療従事者」としての存在は、どれほど心強い存在であるのか。その重さみたいなものをこの空間から肌で感じ、自分の仕事について考えさせられた。理学療法士という仕事にまた一つ誇りを感じたと同時に気を引き締めさせられた時間でもあった。
受け入れる
昨日のセミナーはこれまでの内容を用いて、受講生同士でペアになり運動機能を評価していく。
そして相手の身体の状態に合わせた強度で、目的に沿った介入アイデアを出していくという内容であった。
最終的には小島さんにも評価結果を確認をしていただきながら、なんでもありの介入アイデアを出していく。
オモチャを使って環境設定に工夫を凝らしたアプローチ
機能レベルの高い人には、それなりの負荷量で刺激ある楽しさを
そしてまだ重力に対して身体を支える機能が弱い人には、このようなポジショニングで負荷量を考慮しながらの介入を
このように重力下において姿勢を保持できない成人も、クリニックで臨床しているとよく出くわす。細身の女性で体幹筋は弱く脊柱フラット傾向であり、いわゆる慢性疼痛の人などにも多い印象がある。
筋力は弱いのだけど、防御反応は強い。
心理的にも何かしらを抱え込んだ人も多いような印象もあった。
小島さんは新生児期の赤ちゃんのように、まずは「触られることに慣れるところから」と介入されていた。
クリニックの現場でも、触れると緊張してしまう患者さんは多い。そこでよく「力を抜いてください」という声かけをしている人もいるし、僕もそうであった。
しかし、この声かけはしっかり相手と向き合った結果出た言葉なのか?それとも自分勝手に言っているだけの声かけなのか?そこでまた大きく意義は変わってくるのだろうけど、ほとんどの場合が後者ではないだろうか。
小島さんの介入は、「力を抜いて」とは一言も言っていなかった。その状態の相手をすべて受け入れることから始まる。
これはきっと日頃の臨床がそうなのであろうと思うし、だから当たり前にそうされているのだけど・・僕はこの関係性を見てまた涙が出てきそうになった。
例えばですが、慢性疼痛と親の愛情不足とは関係が深いという話も聞く。現に臨床でもそのような人間関係の拗れがある慢性痛患者さんは一定数いらっしゃる。
赤ちゃんの頃に沢山触れられて、抱っこされるいう経験。それは後々にも身体の反応として大きく現れてくるのだと気付かされる。
どんなに姿勢が悪くても、
どんなに緊張が強くても、
どんなに筋力が弱くても、
相手の身体には歴史があり、相手はその身体を使って日々生きている。
その身体に対して「姿勢が悪いですねー」「硬いですねー」「筋力が弱いですねー」なんていうことを無神経に相手に浴びせることが、どれほど相手を敬っていない言葉がけであるのか。
もちろん必要な場合もある。それ観ればわかるもの。
正論を言うことが、どれだけ相手との関わり合いの中で意味をなさないものなのか。
「その言葉は相手と向き合っていれば出ないはず。」という言葉を、どれだけの人が日頃から無意識に自分勝手に使ってしまっているのだろうか(自戒の意味も込めて)
相手を受け入れることが、向き合いのスタート。
そんな人と人との関わりを。向き合うという具体を。愛に溢れた介入を、昨日のセミナーでは小島さんにみせていただいた。
素晴らしい臨床家の現場をみれること。
こういった機会は多くの気付きを与えてくれる。
ありがとうございました。
※発達運動学に基づく運動機能の捉え方コースは第2期を2019年1月から開催予定です(土曜18:30〜20:30×全6回)
小島先生の主催されている研究会